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東京地方裁判所 昭和62年(ワ)16185号 判決

主文

一  原告(反訴被告)に対し、

1  被告(反訴原告)舩木ノブ子は別紙物件目録一(一)記載の建物を収去して、同目録二(一)記載の土地を、

2  被告(反訴原告)中里しつは同目録一(二)記載の建物を収去して、同目録二(二)記載の土地を、

3  被告(反訴原告)乃生清は同目録一(三)記載の建物を収去して、同目録二(三)記載の土地を、

4  被告(反訴原告)岡村豊は同目録一(四)記載の建物を収去して、同目録二(四)記載の土地を、

5  被告(反訴原告)中山ちよは同目録一(五)記載の建物を収去して、同目録二(五)記載の土地を、

6  被告(反訴原告)下出誠及び被告(反訴原告)下出久代は同目録一(六)記載の建物を収去して、同目録二(六)記載の土地を、同目録一(九)記載の建物を収去して、同目録二(九)記載の土地を、

7  被告(反訴原告)奥村英子、被告(反訴原告)関口幸子及び被告(反訴原告)奥村博之は同目録一(七)記載の建物を収去して、同目録二(七)記載の土地を、

8  被告(反訴原告)浜田富子は同目録一(七)記載の建物から退去して、同目録二(七)記載の土地を、

9  被告(反訴原告)青山一郎は同目録一(八)記載の建物を収去して、同目録二(八)記載の土地を、

10  被告(反訴原告)堰本まつは同目録一(九)記載の建物の二階部分から、被告(反訴原告)王金章は同建物の一階部分から、それぞれ退去して、同目録二(九)記載の土地を、

11  被告(反訴原告)水科光子は同目録一(一〇)記載の建物を収去して、同目録二(一〇)記載の土地を、

12  被告(反訴原告)坂井美津子は同目録一(一一)記載の建物を収去して、同目録二(一一)記載の土地を、

それぞれ明け渡せ。

二  被告(反訴原告)らの反訴請求をいずれも却下する。

三  訴訟費用は、本訴反訴を通じ、被告(反訴原告)らの負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(本訴)

一  請求の趣旨

主文一項、三項、四項同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1 原告の請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告(反訴被告、以下「原告」という。)の負担とする。

(反訴)

一  請求の趣旨

1 原告が別紙物件目録三記載の土地につき所有権を有しないことを確認する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 本案前の答弁

主文二項、三項同旨

2 本案に対する答弁

(一) 本件反訴請求をいずれも棄却する。

(二) 主文三項同旨

第二  当事者の主張

(本訴)

一  請求原因

1(原告の本件土地の所有権取得)

(一) 日本鉄道株式会社(以下「日本鉄道」という。)は、明治三〇年四月一六日、角筈一丁目四番ノ内八号の土地(以下「四-八の土地」のようにいう。以下同じ。)をもと所有していた山田キクから、明治二九年一二月九日、四-七の土地をもと所有していた池田安五郎から、明治三〇年五月二四日、四-五及び五-二の土地をもと所有していた宮岡鉄五郎から、明治三〇年六月一日、五-四の土地をもと所有していた池田キミから、明治三四年一月二三日、三-九の土地をもと所有していた武井守正から、いずれも買い受けた。

原告(当時の鉄道所掌官庁である逓信省名義による)は、明治四一年二月二九日、日本鉄道から右各土地の所有権をいずれも買収により取得した。

(二) 原告(当時の鉄道所掌官庁である内閣(大蔵省)名義による)は、大正八年一一月一八日、五-五の土地をもと所有していた池田キミから、買収により取得した。

(三) 四-七、四-五、五-二、五-四及び五-五の各土地は昭和三七年八月一八日、三-九の土地に合筆されたが、右土地から昭和三七年九月四日、三-三四の土地が、昭和四一年七月二七日、三-三九の土地がそれぞれ分筆された。

(四) 四-八の土地は他の三四筆の土地とともに昭和三七年八月一八日、五-一の土地に合筆されたが、右土地から昭和三七年八月二七日、五-七、五-八及び五-九の各土地が、昭和四一年七月二七日、五-一〇の土地が、それぞれ分筆された。

(五) 右分筆後の三-三九の土地と五-一〇の土地は、東京復興都市計画土地区画整理事業の処理に伴い、昭和四五年四月一日、別紙物件目録三の土地(昭和四八年一月一日の町名変更前は新宿区角筈一丁目一五番地。以下、単に「本件土地」という。)として一筆の土地となったが、本件土地は前記(一)の四-七、四-五、五-二、五-四、三-九、四-八及び同(二)の五-五の土地に含まれるものである。

2(一) 被告(反訴原告)舩木ノブ子(以下「被告舩木」という。)は別紙物件目録二(一)記載の土地(以下「本件土地二(一)」という。以下、同じようにいう。)上に、同目録一(一)記載の建物(以下「本件建物一(一)」という。以下、同じようにいう。)を所有して同土地を占有している。

(二) 被告(反訴原告)中里しつ(以下「被告中里」という。)は本件土地二(二)上に、本件建物一(二)を所有して同土地を占有している。

(三) 被告(反訴原告)乃生清(以下「被告乃生」という。)は本件土地二(三)上に、本件建物一(三)を所有して同土地を占有している。

(四) 被告(反訴原告)岡村豊(以下「被告岡村」という。)は本件土地二(四)上に、本件建物一(四)を所有して同土地を占有している。

(五) 被告(反訴原告)中山ちよ(以下「被告中山」という。)は本件土地二(五)上に、本件建物一(五)を所有して同土地を占有している。

(六) 被告(反訴原告)下出誠(以下「被告下出誠」という。)及び被告(反訴原告)下出久代(以下「被告下出久代」という。)は本件土地二(六)上に、本件建物一(六)を共同で所有して同土地を、本件土地二(九)上に、本件建物一(九)を共同で所有して同土地を、それぞれ占有している。

(七) 被告(反訴原告)奥村英子、被告(反訴原告)関口幸子及び被告(反訴原告)奥村博之(以下一括して「被告奥村ら」という。)は本件土地二(七)上に、本件建物一(七)を共同で所有して、同土地を占有している。

(八) 被告(反訴原告)浜田富子(以下「被告浜田」という。)は本件建物一(七)を占有している。

(九) 被告(反訴原告)青山一郎(以下「被告青山」という。)は本件土地二(八)上に、本件建物一(八)を所有して同土地を占有している。

(一〇) 被告(反訴原告)堰本まつ(以下「被告堰本」という。)は本件建物一(九)の二階部分を、被告(反訴原告)王金章(以下「被告王」という。)は同建物の一階部分を、それぞれ占有している。

(一一) 被告(反訴原告)水科光子(以下「被告水科」という。)は本件土地二(一〇)上に、本件建物一(一〇)を所有して同土地を占有している。

(一二) 被告(反訴原告)坂井美津子(以下「被告坂井」という。)は本件土地二(一一)上に、本件建物一(一一)を所有して同土地を占有している。

3 よって、原告は被告らに対し、本件土地の所有権に基づき請求の趣旨記載のとおり建物の収去若しくは建物からの退去による土地明渡を求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1の事実はいずれも知らない。

2 同2の事実はいずれも認める。

三  抗弁

1(土地区画整理法一〇五条二項に基づく所有権喪失)

原告の三-三九及び五-一〇の各土地の所有権は、昭和四五年四月一日の換地処分に伴い土地区画整理法一〇五条二項によりいずれも消滅し、換地処分後の新宿区角筈一丁目一五番地の土地の所有権は同条一項により日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)に帰属した。

2(国鉄の発足に伴う所有権移転)

本件土地は大正一五年五月ころまで、新宿駅本屋の敷地として使用され、その後、用途廃止ないしは変更により広場として使用されていたものであって、帝国鉄道会計、国有鉄道事業特別会計に属する財産であり、昭和二四年六月一日、国鉄が独立法人として成立すると同時に、日本国有鉄道法施行法四条に基づき、原告から国鉄に所有権が移転した。

3(黙示の使用貸借)

(一)(1) 清田洋二(以下「清田」という。)は、本件土地の管理者であった新宿区長岡田昇三から、昭和二三年六月一日、その使用許可を受けて、本件建物一(一)ないし(八)及び同一(一〇)を建築して所有していたが、本件建物一(一)については昭和三五年三月二二日に、その余の建物については昭和三四年六月三〇日に、いずれも新宿南口事業協同組合(以下「新宿南口組合」という。)に売却した。

清田に対する本件土地の使用許可は一年毎に更新され昭和二八年一二月三一日まで継続した。

(2) 被告舩木は、昭和三五年三月二二日、本件建物一(一)を新宿南口組合から買い受けて本件土地二(一)の占有を開始し、平穏かつ公然に現在に至るまで同建物の所有を目的として同土地を継続して使用してきた。

(3) 被告中里は、昭和三四年ころ、本件建物一(二)を新宿南口組合から買い受けて本件土地二(二)の占有を開始し、平穏かつ公然に現在に至るまで同建物の所有を目的として同土地を継続して使用してきた。

(4) 被告乃生は、昭和三五年八月一九日、本件建物一(三)をもと所有する被告下出誠及び本間豊治から買い受けて本件土地二(三)の占有を開始し、平穏かつ公然に現在に至るまで同建物の所有を目的として同土地を継続して使用してきた。

(5) 被告岡村は、昭和五六年一二月一一日、本件建物一(四)を清田、市橋喜美司を経て転々取得した市橋マサエから買い受けて本件土地二(四)の占有を開始し、平穏かつ公然に現在に至るまで同建物の所有を目的として同土地を継続して使用してきた。

(6) 被告中山は、昭和三五年ころ、本件建物一(五)を新宿南口組合から、加トミ子とともに買い受けて本件土地二(五)の占有を開始し、平穏かつ公然に現在に至るまで同建物の所有を目的として同土地を継続して使用してきた。

(7) 被告下出誠及び同下出久代は、昭和三〇年七月二七日、本件建物一(九)をもと所有する河田あきから、昭和五三年九月二六日、本件建物一(六)を新宿南口組合、前田ツギを経て転々取得した矢野昶、前田照夫及び前田勲夫から、それぞれ買い受けて、そのころ本件土地二(九)、二(六)の占有を開始し、いずれも平穏かつ公然に現在に至るまで同建物の所有を目的として同土地を継続して使用してきた。

被告堰本は、昭和三七年ころ、被告下出誠及び同下出久代から本件建物一(九)の二階部分を借り受けた。

被告王は、昭和四二年ころ、武田某から本件建物一(九)の一階部分の営業権を譲り受け、以降賃借を継続している。

(8) 被告奥村らは、昭和三八年六月一〇日、本件建物一(七)を新宿南口組合、佐野巻子、石川勇を経て転々取得した奥村光与四から相続して本件土地二(七)の占有を開始し、平穏かつ公然に現在に至るまで同建物の所有を目的として同土地を継続して使用してきた。

被告浜田は、昭和四二年八月一日、被告奥村らから本件建物一(七)を賃料月額二万円、期間二年の約定で借り受け、その後二年毎に契約が更新されてきている。

(9) 被告青山は、昭和五六年八月二五日、本件建物一(八)を新宿南口組合、安達機恵を経て転々取得した乃生ゆきえから買い受けて本件土地二(八)の占有を開始し、平穏かつ公然に現在に至るまで同建物の所有を目的として同土地を継続して使用してきた。

(10) 被告水科は、昭和五七年二月四日、本件建物一(一〇)を新宿南口組合、鳥山増吉を経て転々取得した鳥山利弘から買い受けて本件土地二(一〇)の占有を開始し、平穏かつ公然に現在に至るまで同建物の所有を目的として同土地を継続して使用してきた。

(11) 被告坂井は、昭和四九年六月、本件建物一(一一)を新宿南口組合、高木ミツ、高木藤太郎を経て転々取得した高田昇子から買い受けて本件土地二(一一)の占有を開始し、平穏かつ公然に現在に至るまで同建物の所有を目的として同土地を継続して使用してきた。

(二) 原告は、被告らの本件各土地の使用継続の事実を十分に認識しながら、建設省関東地方建設局東京国道工事事務所(以下「国道工事事務所」という。)が昭和六一年一月二〇日付で指導書を発するまで、明渡の請求をまったくしなかった。

したがって、原告と被告らとの間には本件各土地につき、いずれも建物所有を目的とする使用貸借契約が黙示のうちに成立したものである。

4(権利濫用)

(一) 新宿東口商店街振興組合(以下「新宿東口組合」という。)は、建設省関東地方建設局長に対し、昭和六〇年八月七日、本件土地上の居住者等の立退のための折衝、移転料などの費用、立退後の建物等の取壊の費用など、すべて新宿東口組合の負担と責任で行うことを内容とする「新宿駅南口国道法敷の環境整備に関する要望書」を提出し、同月九日、道路法二四条に基づき本件土地に芝張工事を行うとの道路工事施行願を申請した。

(二) 同年八月二九日、国道工事事務所の主催で「新宿駅南口の整備等に関する打合せ会」が行われ、その席上、新宿東口組合の代理人田宮甫弁護士(以下「田宮弁護士」という。)が、今後は新宿東口組合が窓口になる旨挨拶し、被告らに対し立退を求め、これに応じるものには新宿東口組合が補償金を支払う旨述べた。

(三) 右打合せ会の際、前記工事施行承認についてはまったく話題とされず、かえって、国道工事事務所管理第一課長である大平為則は被告下出誠に対し、本件土地に関する事業計画がまったくない旨回答した。

建設省関東地方建設局長は、このように本件土地につき最も利害関係を有する被告らの意見を聞かないままに、同年九月九日、新宿東口組合に対し前記工事施行の承認を与えてしまった。

(四) 国道工事事務所長は、昭和六一年九月一九日付で「今般建設省といたしましてはこれ(新宿東口組合の前記工事承認申請)について承認しました。その内容は、1 道路敷に存する建物等を取り壊し、その跡地に芝張工事を行う。…当事務所としても取り壊し等の工事に積極的に協力する所存であります。」と記載した文書を被告らに発した。

(五) その後、新宿東口組合の代理人斉喜要弁護士(以下「斉喜弁護士」という。)及び樋口昌良(以下「樋口」という。)は、被告らを含む本件土地上の建物の所有者や賃借人に対し、右文書を示して本件土地上の建物を取り壊す権限を建設省から与えられているなどと違法に威迫したため、同年末日までに建物所有者六名、賃借人一〇名が本件土地から立ち退かされた。

(六) ところで、建設省関東地方建設局道路部路政課長は、昭和六〇年一〇月二日付をもって、新宿東口組合に対して「道路法二四条の解釈について(回答)」と題し、道路法二四条の承認を受けた者は、道路管理者及び第三者との関係において適法に工事等を施行することができ、そのために承認にかかる道路区域内の土地を使用することができる旨、右使用を妨げる者に対し妨害排除請求訴訟等を提起し、必要な仮処分を求めることができる旨の解釈を示す文書を発した。

新宿東口組合は右文書を原因として被告らに対し、合計一六件の占有移転ないし処分禁止仮処分命令を申請し、仮処分命令を得てその執行をなした。

(七) 被告らが右仮処分命令に対し異議を申し立てたところ、新宿東口組合は昭和六一年六月一六日、いずれも申請を取り下げて、仮処分の執行も取り消し、また被告らが起こした起訴命令に応じいったん提起した本案訴訟についてもやはり昭和六一年五月に至って、次々と取り下げてしまった。

他方、右仮処分の取下の直前になって、原告は債権者として、被告らを債務者とし、右仮処分と同一内容の仮処分命令を申請し、昭和六一年五月七日、仮処分命令を得てその執行をなした。

(八) 右執行の直後である同月一九日、斉喜弁護士及び樋口は、被告ら代理人に対し、最後の提案として「新宿南口浄化に関する費用として左記の金額を通告いたします」という文書により、被告ら一人当たり最高七〇〇万円最低三〇〇万円、合計六三〇〇万円の立退料を提示した。

また、斉喜弁護士及び樋口は、本件土地に隣接する土地の所有者に対し、何度となく同土地の譲渡方を申し入れており、本件土地を利用した地上げを画策している。

さらに、斉喜弁護士及び樋口は、昭和六二年二月七日ころ、本件建物一(八)において焼鳥屋を営んでいた落合昭八郎に対し、三〇〇〇万円を交付して営業をとりやめさせてしまった。

(九) 建設省関東地方建設局長は、昭和六一年五月一日、被告らに対し、道路法七一条一項に基づき本件土地上の建物の除去及び占有の廃止を命じたので、被告らは同月二八日、右処分につき建設大臣に対し、行政不服審査請求をなしていたところ、原告は本件提訴に及んだ。

(一〇) 以上のとおり、国道工事事務所は新宿東口組合と緊密な連絡をとっており、建設省において一定の事業計画等の公益目的を有しないまま前記道路工事施行の承認を与え、右(四)、(六)のとおり違法な文書(右文書の内容はいずれも法律上の根拠をまったく欠くものである。)を発行するなどして、新宿東口組合や本件土地に隣接して広大な土地を所有する同組合副理事長市嶋敬造(以下「市嶋」という。)らの個人的利益の実現に加担していたものであって、本件訴えはその一環として提起されたものであり、権利の濫用として許されない。

四  抗弁に対する認否

1 抗弁1、2の事実はいずれも否認する。

2 抗弁3(一)(1)ないし(11)の事実はいずれも知らない。

同3(二)のうち、国道工事事務所が昭和六一年一月二〇日付で指導書を発した事実は認めるが、その余の事実は否認する。

原告は、昭和四九年八月、本件土地の不法占有の実態調査に着手したところ、調査妨害等もあって事実関係が明確にならなかったが、その際、被告らに対し、本件各建物は正当な権原に基づかずに建築されている旨説明している。

また昭和五三年、被告らの代表と称する被告下出誠、被告乃生らと本件土地を不法に占有している建物等を撤去するまでの暫定的措置として、占用許可の方針について折衝したが、結局合意に至らなかった。

3(一) 同4(一)、(二)の事実はいずれも認める。

同4(三)のうち、建設省関東地方建設局長が、新宿東口組合に対し工事施行の承認を与えた事実は認めるが、その余の事実は否認する。

同4(四)の事実は認める。

同4(五)の事実は否認する。

同4(六)の事実のうち、新宿東口組合が路政課長の発した文書に基づき仮処分命令を申請した、との点は否認し、その余は認める。

同4(七)の事実は認める。

同4(八)の事実は知らない。

同4(九)の事実は認める。

同4(一〇)のうち、建設省において一定の事業計画等の公益目的を有しないまま前記道路工事施行の承認を与え、違法な文書を発行して、個人的利益の実現に加担していたとする点及び本件訴えがその一環として提起されたものであるとする点は否認し、権利の濫用であるとの主張は争う。

(二) 新宿駅南口には駅前広場がないため、乗降客が改札口から直接、一般国道二〇号の歩道上に出ており、従来より右歩道の混雑が著しかったものであるが、さらに埼京線の開通、新宿ターミナルビル設置等の事情から乗降客及び右歩道の利用者の増大が予想され、右歩道から駅街路一〇号へ降りる階段が狭隘かつ勾配が急であることから人身事故が発生する危険もあり、当時の国鉄や周辺住民から利用者の利便と安全のため適切な措置を講ずべきであるとの要望が強まっていた。

原告は、かかる事情を踏まえ、利用者の利便と安全な通行の確保という公共の必要性に基づき、一般国道二〇号の道路敷の一部である本件土地上にペデストリアンデッキ(駅前広場等に設置される歩行者のための高架構造物)を設置して新宿南口を整備するという工事を計画し、本件土地の明渡を拒絶する被告らに対し、本訴を提起するに至ったものである。

なお、新宿南口整備等に関する打合せ会の時点では、建設省が直接行う直轄事業の計画はなかったが、新宿東口組合が本件土地の環境整備を行いたいとの意向があり、これが道路法の本旨及び同法二四条の運用の趣旨にも適うものとして、同組合の道路工事施行の承認をしたものである。

五  再抗弁

本件土地は、大正末年ころまでに施行した一般国道二〇号新宿跨線橋の設置の際に、新宿区道一一-二八〇号線(当時の東京町道)への取付け道路の舗装及び路床並びにこれらを保護するための法面等として使用されて現在の形状になったもので、道路敷地の一部であるから、使用貸借により占有の権原が生じる余地はない。

六  再抗弁に対する認否

否認する。

(反訴)

一  請求原因

1 原告は本件土地の所有権を主張している。

2(訴えの利益)

原告の右所有権主張により、反訴原告らの法的地位は以下のとおり重大な不安にさらされている。

(一) 原告は本訴において右所有権に基づき、被告らに対しその明渡を請求している。

(二) 本訴抗弁4の(四)、(五)を引用する。

(三) 原告は、昭和六二年一二月一七日、国道工事事務所、新宿区及び東日本旅客鉄道株式会社の三者連名で「新宿駅東南口広場整備事業の工事のお知らせ」と題する文書を送付し、同日以降実際に本件土地上で右工事を開始した。

(四) 本件土地上で被告浜田の営業する飲食店「千里」及び被告王の営業する中華料理店「台北飯店」について、昭和六三年一月末日で食品衛生法上の飲食店営業の許可期限が到来するため、両名が新宿区新宿保健所長に対し許可更新の申請手続をとろうとしたところ、本件土地が原告の所有であること、右店舗の排水溝はいずれも公共下水道に直結していないことなどを理由にあげて、申請書の受理に難色を示され、同年二月五日に至るも営業許可の更新が得られていない。

被告らが東京都下水道局西部管理事務所に対し排水溝を公共下水道に直結させる工事の施工を求める届出手続をとろうとしたところ、やはり本件土地が原告の所有であるから同工事が望ましくない旨の文書が建設省から送付されてきたことを理由として、右届出の受理を拒否された。

二  本案前の申立の理由

本件反訴は、訴えの利益を欠く不適法なものである。すなわち、本件反訴は、単に原告が本件土地の所有権を有しないことの確認を求めているに過ぎないところ、被告らとしては本訴中で原告の所有権を争い棄却判決を得ることにより、原告に明渡請求権のないことが確定すれば、その目的を達成することができるから、ことさら反訴を提起する必要はない。

三  請求原因に対する認否

請求原因2(二)の事実の認否は、本訴抗弁4(四)、(五)についての認否を引用する。

その余の請求原因事実は争う。

四  抗弁

本訴請求原因1を引用する。

五  抗弁に対する認否

本訴請求原因1に対する認否を引用する。

六  再抗弁

本訴抗弁1及び2を引用する。

七  再抗弁に対する認否

本訴抗弁1及び2に対する認否を引用する。

第三  証拠〈省略〉

理由

第一  本訴請求に対する判断

一1  請求原因1(一)の事実は〈証拠〉により、同1(二)の事実は〈証拠〉により、同[1](三)の事実は〈証拠〉により、同[1](四)の事実は〈証拠〉により、いずれも認めることができ、これに反する証拠はない。

なお、前掲の各証拠によれば、昭和三七年八月一八日、四-八の土地とともに五-一の土地に合筆された土地は一-四、一-五、四-二、四-四、四-九、四-一五、四-一八ないし二一、四-二五ないし三一、四-三五、一四-一ないし七、一五-一ないし八及び一五-一〇の各土地であること、また、三-九及び五-一の各土地は右分筆・合筆の前後を通じ、登記簿上の所有名義人は国鉄であって、分筆の結果生じた三-三九及び五-一〇の各土地についても、やはり国鉄による所有権保存登記が経由されていたことが認められる。

2  次に同1(五)の事実について判断する。

〈証拠〉並びに前記認定の分筆・合筆の経過を総合すると、五-一〇の土地は旧公図上の記載、特にその形状・隣接する他の土地との位置関係の比較・対照からして、請求原因一1(一)の四-八の土地に包含された一部分の土地であること、三-三九及び五-一〇の各土地は昭和二一年一〇月一日東京都告示第五〇六号にかかる東京都市計画第九地区(第二工区)復興土地区画整理事業(以下「本件土地区画整理事業」という。)の施行区域内に位置しているが、右二筆の各土地と本件土地区画整理事業に伴い新たな地番の設けられた本件土地とを比較すると位置・形状・地積について同一性を有していること(ただし、地積については登記簿上の表示を実測により修正した結果一一平方メートル減少している。)、本件土地区画整理事業における換地明細書上において、三-三九及び五-一〇の各土地については、いずれも従前の土地欄に地目雑種地として記載されているものの、これに対応する換地処分後の土地が定められておらず、登記簿上の記載に照応する形で所有者が国鉄とされ、土地区画整理法一〇五条二項により、その所有権が消滅した旨の記載がなされていること、本件土地については、換地処分後の土地欄に地目公衆用道路として記載されているものの、これに対応する従前の土地が定められておらず、同条一項により国鉄に帰属した旨の記載がなされているのみであること、登記上、三-三九及び五-一〇の各土地については、「土地区画整理法の換地処分により換地が定められなかった」として登記用紙が閉鎖されており、本件土地については、換地処分により生じた一筆の土地として新たに登記簿が作成され、昭和五七年一〇月七日受付で国鉄による所有権保存登記が経由されていること、本件土地区画整理事業を実施する東京都において、右土地は従前から引き続いて公共施設の用に供され、換地処分に伴う権利の変動が生じないことを前提として形式上右のような手続により処理したものであること、以上の事実が認められ、これに反する証拠はない。

ところで、登記簿上における土地の表示単位の変更に過ぎない分筆・合筆自体は実体的な権利関係に変動を及ぼすことはないし、いったん合筆により一筆の土地の一部になったとしても、従前一筆の土地であった部分は合筆された他の土地部分と区別して、なお独立の所有権の対象となり得ることはいうまでもない。

これを本件についてみると、いずれも、もと原告が所有していた四-七、四-五、五-二、五-四、三-九及び五-五の各土地は、合筆され、いったん一筆の土地(三-九)となり、その後再度三-三四、三-九、三-三九の各土地に分筆されているのであるが、これによって原告の所有権は何ら影響を受けることはないのであるから、右の再度の分筆後の三-三九の土地についても、原告の所有権が及ぶことに疑いはない。また、もと原告が所有していた四-八の土地が他の土地とともに、いったん一筆の土地(五-一)に合筆され、その後再度五-一、五-七ないし一〇の各土地に分筆されたものの、右の再度の分筆により生じた五-一〇の土地が四-八の土地に包含される一部分にすぎないことは右にみたとおりであるから、五-一〇の土地についても原告が所有権を有することは明らかである。そして、前記認定のとおり、三-三九及び五-一〇の両土地と本件土地区画整理事業に伴い新たな地番として生じた本件土地とは同一性を有することは、既にみたとおりであるから、本件土地は原告の所有に属するというべきである。

(この点につき被告らは、前記の一連の分筆・合筆に際し、その対象となるいずれの土地についても国鉄名で所有権の保存登記がなされており、分筆・合筆を通じてその所有名義に変動がないから、原告が分筆・合筆前の従前の土地について所有権を有していたとしても、右分筆・合筆により国鉄に所有権が創設されたとみるべきであり、また五-一の土地から分筆された五-一〇の土地の所有権を主張するためには、昭和三七年八月一八日に四-八の土地とともに五-一の土地に合筆された他のすべての土地について原告の所有権取得の主張立証がなされなければならない旨主張するが、いずれも独自の見解であり、採用できない。

二  請求原因2の事実はいずれも当事者間に争いがない。

三  そこで、各抗弁について判断する。

1  抗弁3(二)のうち、国道工事事務所が昭和六一年一月二〇日、指導書を発した事実、同4(一)、(二)の各事実、同4(三)のうち、建設省関東地方建設局長が新宿東口組合に対し工事施行の承認を与えた事実、同4(四)の事実、同4(六)のうち、同地方建設局路政課長が新宿東口組合に対し道路法二四条の解釈に関する文書を発した事実、同組合が被告らに対し、占有移転ないし処分禁示の仮処分を申請し、命令を得て、その執行をなした事実及び同4(七)、(八)の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

そして、〈証拠〉を総合すれば以下の事実が認められ、これに反する証拠はない。

(一)(1) 明治三九年三月、甲州街道(当時の一等国道八号、現在の一般国道二〇号線)の北側に位置していた本件土地付近に新宿駅舎及び広場が設置されたが、大正一四年四月に東口新駅舎が完成し、これに伴って右の旧駅舎は大正一五年五月に廃止された。

(2) その後、鉄道省により山手線新宿駅改良にともなう甲州街道の一部位置変更及び路面改築工事が実施され、鉄道線路との交差部分に跨線橋が設置されるとともに、跨線橋と地上道路との段差を埋める蛇行したスロープ状の連絡通路が取り付けられ、本件土地が右通路及びその法面の用地として使用された。右工事完了後である昭和二年六月二一日、鉄道省東京鉄道管理局長から当時の道路管理者である東京府知事に対し本件土地につき道路内附帯法敷として仮引継の要請がなされ、昭和五年七月四日、東京府知事がこれを受ける旨の回答をし、仮引継が行なわれた。

(3) 昭和四五年四月一日、国道二〇号線の一部である新宿区新宿三丁目四三番の一から同区角筈三丁目一六三番の三までの区間が道路法一三条の指定区間に編入され、道路管理者であった東京都知事から建設省関東地方建設局に引継が行なわれたが、その際、本件土地も右道路区域内に含まれるものとする図面が授受されるなど道路用地として引継の対象とされた。

(4) 昭和四六年九月二〇日、国道二〇号線の道路区域変更とそれに伴う供用開始の手続が行われ道路の拡幅が実施されたが、本件土地については従前から道路区域内に含まれていたものとして扱われた。

(5) 昭和五七年から六〇年にかけて、建設省関東地方建設局長と国鉄東京西鉄道管理局長との間で、本件土地が道路敷地として建設省へ所管換済みであることが確認されたうえ、昭和六〇年五月二日、国鉄から建設省へ真正な登記名義の回復を原因として所有権移転登記手続が実施された。これは、国鉄の事業施行以前から道路敷地となっていた原告所有の土地であって、国鉄に承継され得ないものであるにも拘らず、正式な所管換に伴う登記手続などの事務処理が未済であったために、国鉄の所有名義となってしまった本件土地について、国有鉄道事業特別会計と一般会計との間において既に所管換がなされたものとして取り扱うべく、とられた手続であった。

(二)(1) ところで、本件土地付近には終戦直後の混乱期において闇市が開設されており、これも取り仕切っていた暴力団安田組の幹部である清田に対して、東京鉄道管理局新橋管理部長から昭和二三年一〇月、新宿駅甲州街道口付近の道路法敷について使用承諾が、また新宿区長から昭和二四年二月、角筈一丁目記念塔下の土地などの道路法敷、道路側溝上ないしは路端継などについて、用途を移動式の売店とし、昭和二九年一〇月三一日を期限としてその使用ないしは占有の許可がそれぞれなされていた。しかし、右期限後の継続使用についての許可は保留されたままになっていた。

(なお、右使用、占有の許可が与えられていた土地の範囲は、〈証拠〉の各記載によっても判然とせず、本件土地との関係は必ずしも明らかではない。)

(2) 被告下出誠は、昭和三〇年七月二七日ころ、本件建物一(九)をもとの所有者である河田あきから代金六〇万円で購入したが、その際同人からは、同建物の敷地について清田から借り受けており地代を支払っているということのほか、その利用権原について明確な説明を受けておらず、本件土地の所有者も不明のままであったものの、清田に対して昭和三四年ころまで地代を引き続き支払っていた。

(3) 昭和三三年ころ、甲州街道の拡幅が計画され、甲州街道沿いに位置する建物について東京都による立ち退きの話が持ち上がったことから、被告下出誠は自ら発起人代表となって、本件土地ほか新宿駅南口周辺の建物所有者及び賃借人を集めて、同年四月新宿南口組合を設立し、これに対処することになった。その結果、甲州街道沿いの建物の所有者ないしは賃借人である組合員約四〇名は代替地の賃借権を得て、昭和三九年に甲州街道沿いの土地から立ち退いたものの、本件土地は拡幅の対象地となっていなかったため、本件各建物の所有者、賃借人らに対しては明渡の請求がなされることもなく経過した。

(4) 他方、被告下出誠の所有となった前記本件建物一(九)以外の本件各建物についても、昭和三四年ないし三五年ころまでに新宿南口組合が所有者である清田から買い上げ、いずれも保存登記を経たうえで、まもなく、同組合員である建物の賃借人らに代金を分割払いで売り渡していき、被告らないしはその前主の所有するところとなった。しかし、その際にも清田から、本件土地の使用許可を受けているとの説明はなされたものの、利用権原の具体的内容も土地の所有者も明らかとはならず、地代の支払がなされることもなかった。被告乃生も、昭和三五年八月一九日ころ、本件建物一(三)を、右の経緯により所有者となった被告下出誠及び本谷豊治から代金約一四〇万円で購入した者であったが、やはり敷地の利用権原やその所有者について具体的な説明を受けなかった。

なお、その時期は必ずしも明らかではないが、右の経過から遅くとも昭和三五年ころまでに、別紙図面1ないし4のとおり、本件土地のスロープ状の連絡通路の路側を占有する形で本件各建物は建築されていたものであって、このような本件土地の状況は当時から現在まで概ね変更がない。

(5) 被告下出誠、同青山及び同乃生は、昭和五三年、国道工事事務所の丸山英との間で、本件土地についての被告らの利用関係を明確にするために交渉を行ない、賃貸借契約の締結を求めたが、貸与の相手方として被告らの側の代表者を定めて欲しいという国道工事事務所側の条件を容れることができず、結局合意をみるに至らなかった。

(6) 昭和六〇年八月、新宿駅南口の整備等に関する打合せ会が開催され、被告ら本件土地上の建物所有者、賃借人に対し、国道工事事務所長名で参加の呼び掛けがあり、同事務所第一管理課長である大平為則から環境整備の話がなされたが、当時本件土地に関し建設省において直接行なう事業計画はない旨の説明がなされた。一方、打合せ会に新宿駅東口組合の代理人として出席した田宮弁護士からは、被告らの本件土地からの立ち退きに関する補償の窓口となりたい旨の説明がなされ、その後、樋口と斉喜弁護士が実際の具体的な立ち退き交渉にあたっていたが、昭和六一年一月二〇日には、国道工事事務所からも、被告らに対し、本件各建物の除却を求める指導書が発された。

(7) その後、建設省において、新宿駅南口改札口利用者が急増しており、新宿御苑方向へ向かう歩行者の混雑が甲州街道などにおいて著しいことを踏まえ、新宿区、東日本旅客鉄道株式会社とともに、新宿駅東南口の設置に伴ない本件土地上に新宿駅東南口広場を設ける計画が策定された。しかしながら、本件土地の一部を被告らの本件建物が占有していることから、これを避ける位置に暫定的なペデストリアンデッキを設置できただけで、本来の広場設置の計画を実現できず、新宿東南口から駅街路一〇号へ向かう歩行者の利便などに支障をきたしている。

2  抗弁1について判断する。

前記一2で認定したところと右認定事実を併せて考えれば、三-三九及び五-一〇の各土地は、本件土地区画整理事業の換地計画において、従前から公共施設用地(道路用地)として使用されている国または地方公共団体の所有する土地、すなわち土地区画整理法上の宅地以外の土地として取り扱われ、かつ引き続き同じ用途に使用されることが予定されていたものであって、他の土地が右各土地の換地として定められたり、右各土地上に他の土地の換地が定められてはいないのであるから、換地処分の対象とならなかったとみるのが相当である。そして、右換地計画の処理に伴い、三-三九及び五-一〇の各土地は合併され、これと客観的同一性を有する新たな地番として一筆の本件土地が形成されたに過ぎないとみるべきであるから、従前の権利関係にはまったく変動を生じておらず、原告の所有権は本件土地上にもそのまま及んでいるというべきである。

被告らは、三-三九及び五-一〇の各土地について土地区画整理法一〇五条二項により原告の所有権が消滅したものであると主張するのであるが、同条項は換地計画において、ある土地の換地を宅地以外の土地上に定めた場合に右宅地以外の土地の従前の権利が消滅する旨を定めた規定であって、既に認定したとおり、本件土地区画整理事業の換地計画において三-三九及び五-一〇の各土地上に他の土地の換地が定められた事実はないのであるから、同条項の適用の余地はなく、右主張は失当といわれなければならない。

なお、前記一2で認定したとおり、本件土地区画整理事業の換地明細書には、三-三九及び五-一〇の各土地について同条項の適用があるかの如き記載があるが、既に述べたとおり、便宜的にかかる処理を行なっているに過ぎないと認めるのが相当であり、これにより権利関係に何らの変動をもたらすものではないとみるほかはない。ちなみに、本件土地については、土地区画整理法一〇五条一項により国鉄に所有権が帰属したかの如き記載もあるが、同条項が掲げる要件、すなわち宅地以外の土地(本件においては三-三九及び五-一〇の各土地)に存する公共施設の廃止の事実のないことは、前記認定のとおり昭和三五年以降、本件土地上の利用形態に変動のないことに照らしても明らかであるといわなければならず、同じく便宜的な記載に過ぎないことが窺われる。

3  抗弁2について判断する。

昭和二四年六月一日の国鉄の発足に伴い、日本国有鉄道法施行法四条により国から国鉄に権利義務が承継された国有財産は、国有鉄道、国有鉄道に関連する国営船舶及び国営自動車並びにこれらの付帯事業に関するものに限られるのであるが、前記認定のとおり、本件土地は明治末年まで駅舎敷地として使用されていたものの、その後、甲州街道の付替工事に伴う取付道路及びその法面の用地として使用され、昭和五年七月四日、東京府知事に甲州街道と一体の道路敷地として仮引継も行なわれているのであるから、本件土地が右財産に属していたとみる余地はなく、抗弁2は失当である。

なお、被告らは、仮引継の法的性質が明らかでなく、所管換の正式な手続がとられていない以上、本件土地の所有権は国鉄に移転したものであると主張するが、日本国有鉄道法施行法四条の適用される財産か否かは、当該財産の客観的性状により決せられるべきであって、原告内部における所管換などの手続如何とは直接の関係がないというべきである。

4  抗弁3について判断する。

前記認定のとおり、被告らないしその前主は昭和三〇年ないし三四年ころまでに本件建物一(一)ないし(二)の所有権をそれぞれ取得し、本件土地二(一)ないし(二)の占有を開始したものであり、昭和六一年一月二〇日付で指導書を発するまで、原告から文書による明確な明渡の要求がないまま推移してきたものであるが、そもそも本件土地ないしその周囲の土地については、新宿区長から清田に対し、昭和二九年一〇月まで、道路法敷として、移動可能な店舗の設置などに用途を限定されて一時的な使用が許可されていたにすぎないにもかかわらず、その許可の趣旨に反して土地に固定した本件各建物が建築され、その後、所有権が転々譲渡されたものであること、被告らにおいても本件土地の所有者を確知することなく、使用権原についても明確になっていないにもかかわらず本件各建物の取得に至っていること、本件土地が甲州街道の道路敷地とされており、道路管理者も東京都知事から建設省関東地方建設局に引き継がれていること、昭和五三年に国道工事事務所と被告下出誠らとの間で本件土地の使用に関し折衝が持たれたが合意を得るに至らなかったことなどに徴すれば、本件土地の被告らの使用が事実上長期間にわたったことを越えて、黙示のうちに使用貸借契約、いわんや建物所有目的の使用貸借契約が成立したものとみる余地はなく、この点に関する被告らの主張は採用できない。

5  抗弁4について判断する。

前記争いのない事実及び1(二)(6)で認定した事実を総合すれば、新宿東口組合は自らの費用負担で本件土地の整備を計画し、建設省関東地方建設局長から道路工事施行の承認を得たうえ、本件土地上の居住者などに対する具体的な明渡交渉及び占有移転ないし処分禁止仮処分命令の申請などを行なっており、国道工事事務所もこれに協力していたことが認められる。しかしながら、前記1(二)(7)認定の事実によれば、原告の本訴請求に公益目的が存することは明らかであり、本件土地の整備につき利害・関心を持つ近隣の者が率先してその促進につき積極的な役割を果たしたことがあったとしても、本訴が専ら個人的利益を図る目的のもとに提起された権利濫用に該るものとは解し難いのであって、この点に関する被告らの主張は採用できない。

第二  反訴請求に対する判断

被告らは、反訴において、原告が本件土地について所有権を有しないことの確認を求めているが、被告らは本訴において、原告の所有権を争い棄却判決を得ることにより、その目的を達し得るのであるから、ことさら原告が本件土地につき所有権を有しないことの確認を求める必要がないことは明らかである。また、仮に被告らの主張するその他の地位の不安定、すなわち被告らの本件土地使用に対する妨害行為、行政庁の不利益な処分等が存在するとしても、原告に所有権がないことが確認されたからといって、直ちにこうした妨害や処分が排除されたり、取り消されたりするわけではない。したがって、いずれにしても被告らの反訴については訴えの利益を認めることはできない。

よって、被告らの反訴は不適法なものとして却下を免れない。

第三  結論

以上のとおりであって、原告の本訴請求はその余の事実について判断するまでもなく、いずれも理由があるから、これを認容し、被告らの反訴請求は訴えの利益を欠き、いずれも不適法なものであるから、これを却下し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石垣君雄 裁判官 高野 伸 裁判官 吉田 徹)

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